"アダルトチルドレン”という言葉は知っていますか?
ご存じない方の為にWikipediaでの掲載を引用します。
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アダルトチルドレン(Adult Children:AC)とは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ」という考え方、現象、または人のことを指す。
「親からの虐待」「アルコール依存症の親がいる家庭」「家庭問題を持つ家族の下」で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷(トラウマ)として残っている人をいう。破滅的、完璧主義、対人関係が不得意といった特徴があり、成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な影響を及ぼしている。
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そして現代では、
実に人口の8割がアダルトチルドレンであるとも言われています。
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「十分な愛情をもって養育された子供の割合は5~20%で残りの80~95%は健全な人間関係を築くのに必要な養育を受けているとは言えないのではないか?」
アメリカのチャールズ・L・ウィットフィールド医師著
『Healing the Child Within(内なる子供を癒す)』より
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このブログをお読みの方がどうなのかはさておいて、
私はズバリこの機能不全家庭で育っており、
自他ともに認めるアダルトチルドレンだと思います。
父親と母親は大学在学中に学生結婚をしたらしく、
若くして4人の子供をつくり、
私はその3番目として生を受けました。
今でこそ分かりますが、
父自身も機能不全家庭に育ち、
心がゆがんでしまった男だったのだと思います。
恐らく実母(私から見た祖母)から十分な愛情を受けることができなかったのでしょう。
実父(私から見た祖父)はそれを放置してきたのだと思います。
父は気にくわないことがあれば私たち子供を殴り、
蔑み、母を自分一人で独占しました。
どの仕事も続かずに遊び歩いて、
私が思春期のころには精神を病み、
最終的には母と離婚し、
そして一人で死にました。
今思い起こしても彼の"狂人的"な振る舞いが多く記憶に残っています。
母はそのような父を、
それでも彼が切れ切れに稼いでくる金をアテにして離れることもできず、
その狂人と幼い子供たちを毎日強制的に同居させていました。
母自身も子供たちに日常的に体罰を加える人で、
言葉での暴力も日常的でした。
父の暴力から守ってくれる訳でもありませんでした。
今でも忘れられないのは、
幼かった私に対して母が語った言葉で、
「(父方の)お婆ちゃんがお前をくれと言っているのよ」
という言葉です。
幼いながらに「自分だけがこの家から追い出される」という恐怖、
自分は母にとって必要の無い存在であるという絶望感などを感じたことを、
ありありと覚えています。
なぜ母が実の息子に対してそのような事をわざわざ語ったのか、
いまは母と絶縁しているので分かりませんが、
恐らく子供は親の所有物であり、
子供の気持をというものを考える必要性を一切認めない人だったのでしょう。
我が家での私の誕生日という物は、
常に何かのついでであり、
私一人の為に誕生日でお祝いをしてもらった記憶は、
たったの一回だけでした。
しかもその一回でさえ、
ケーキの蝋燭の火を消そうと吹いた息が、
父の目の前の灰皿の灰を舞い上げてしまい、
結果的に父に殴られて終わってしまったという悲しい思い出でしかありません。
私の上には兄が二人いました。
長兄が生まれた時の父の喜ぶさまは、
何度も何度も聞かされました。
またどちらの兄だったかは忘れましたが、
我々が幼少の時に外出先の山奥で怪我をして、
父が大慌てで背負って必死に山を下りて病院に連れて行った話も散々聞かされました。
もちろん私が産まれた時の話も散々聞かされました。
それはこのようなものでした。
「お父さんはお前が産まれた時の顔をみて、シワクチャで猿みたいで、本当に俺の子か?」って言ったのよ。
それを言った父の精神も理解できませんし、
それを幾度となく私に言って聞かせた母の精神構造も理解はできません。
これは後年(50歳手前)判明したのですが、
私にはアスペルガー症候群という発達障害の一種があることも分かりました。
恐らくそれもあるので、
人一倍私は可愛くない子供だったのでしょう。
つまりは何が言いたいかというと、
私は発達障害を抱えて産まれ、
典型的な機能不全家庭に育ち、
父母から心身共にハラスメントを受けて成長し、
両親との正常な愛着関係を育むこともなく、
歪んだ精神発達過程を送って大人になってしまったということです。
そしてこのようなアダルトチルドレンが、
その後の人生でどのような目に遭うか。
結果的に私は自己破産という経験をするに至ります。
なぜ”アダルトチルドレン”と”自己破産”がつながるのか?
私には決定的に足りないものがありました。
それは”自己肯定感”というものです。
つまり「ありのままの自分でよい」という、
自分自身の存在を条件無しに認めることができるという感覚が、
私には決定的に欠けていたのです。
その為私の半生は、
「他人に認められる為の戦い」に費やされてきました。
他人より良い学校に行き、
他人に羨まれるような生活をし、
他人より出世し、
そして自分は人より優れているという満足感を勝ち取る為の半生でした。
しかし一つの企業に勤め続けられるほど、
私は協調性がある人間ではありませんでした。
何しろ、
他人を押しのけて自分が浮き上がらないと死んでしまうほどの恐怖を覚えるという精神の持ち主なのです。
ガツガツと役職を求め、
高級管理職についてはみたものの、
無論こんな上司についてくる部下などはいませんでした。
みんなからソッポを向かれ、
それでも肥大した自己愛を満たすために、
最終的にたどり着いた選択が”起業”でした。
起業して自らオーナーとして活動する以外に、
自分自身の逃げ道はなかったのです。
そんな動機で起業した人間です。
もともと起業して成功するほどの経験値も能力も、
その当時はありませんでした。
待ち受けていた結果は、
もちろん失敗以外にありません。
そう、
それが私が自己破産に至った真の原因なのです。
こんな下らん人間の、
こんな下らん経験ですが、
それでもそんな経験が誰かの役に立てれば良いと思うのです。
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